キリスト者

まさに家内の父がこの言葉にふさわしい人であった。

毎晩9時になると、自宅の庭にある小さなお御堂(おみどう)に家族全員が必ず顔をそろえ、祈りの時が始まる。したがって、私たちのデートも必ずその時間には家内を家まで送り届けねばならず、私自身はクリスチャンでは無いが、時々はそのまま私も夜の礼拝に参加せざるを得なくなった。

義父の洗礼名がフランシスコ・ザビエルであるとは亡くなるまで知らなかったのだが、私が教養課程の2年間を過ごし、しばしば訪れた山口市の中心にある教会がザビエル教会であったり、これもまた良くハイキングで登った津和野にある乙女峠に小さき花のテレジア教会があるが、これが、家内の洗礼名ともなれば、いささか因縁めいたものを感じざるを得ない。

 

ところで、今度はわが父だが、どうもこれ又何やら不思議な道徳心を持っており、私を隣町にある教会幼稚園に行かせたかと思うと、弟は近くのお寺の保育園へ行かせている。

クリスマスには本物の樅の木が用意されていたが、これはどうやら毎年祖父が段取りしてくれていたのでは無いかと思う。

母が私たちに手伝わせてクリスマス飾りを順番に付け、イルミネーションをつなぎ、最後に綿の雪を枝葉の上に置いて完成させていた。

そして、かなり豪華なクリスマスケーキはいつも父が買って帰ってくれてクリスマスを皆で祝った。

 

そんな日々の中にあって、夏休みだったか、多分父が弟を家のすぐ裏手の杣川に連れて行ってくれていた時だろう。

父がいきなり「おまえが友達と遊んでいる時、もしみんなが川に落ちたら、先に助けるのはお前の友達でお前はその後だ。」と、言った。

私はそれを聞いて、口ではそうは言っても実際はまさかそんな事は無い筈だと高をくくっていたが、まじめな弟は、真剣に受け取ったらしく、思い出すたびに許せない思いがすると言っている。

 

父には変な義侠心があり、自分の学生時代にどこかで一緒だったという人が訪ねてきた時も、近くの温泉宿を取ってやり、周囲の人が皆「あれはどうも変な人ですよ。」と言ったのに、さんざん飲んだり食べたりした挙句、その人がある朝、挨拶も無く行方が分からなくなっても「これでいいのだ。」と、平然としているという風だった。

これらの事はすべて、我々凡人にはなかなか真似ができない気がする。

仁木俊平